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4つのギター、5つの音色の話

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  アンドレス・セゴビアは長い演奏歴にも関わらず、その生涯で愛奏したギターは3本であると語っている。すなわち、    マヌエル・ラミレス(1912 or 1913ー1937)    ヘルマン・ハウザー(1937ー1960)    ホセ・ラミレス  (1960ー1987) の3本である。  ただし、ホセ・ラミレスに関しては、複数本持ち替えられており、1963年までは松の表板、それ以降は杉の表板だったとされている。なので「4つのギター」としている。  これらのギターから紡ぎ出された琴線を震わせて止まない耽美な音色や、ロマン溢れる演奏スタイルにより、私たちはセゴビアの創り出す音楽、そしてギターと言う楽器に魅了されて来たのだ。  この拙文のタイトル「5つの音色」は使用弦に由来する。ギターに関わらず弦楽器の弦は元来動物の腸を加工したものであった。現在のナイロンやカーボンによる弦は、最近発明され普及したのである。バイオリン属では、おおよそ戦前まではガット弦の使用が一般的だったそうだ。「セゴビアは1945年にナイロン弦を張って演奏会に望んだ」という記述を見かけたことがあるが(ピラストロ社製?)それを考慮しても1927年の初録音から1945年までに成された録音の使用弦はガットだったと考えて間違いないだろう。これを使用ギターに重ねると、    マヌエル・ラミレス    全てガット弦    ヘルマン・ハウザー    ガット弦、ナイロン弦両方    ホセ・ラミレス(松・杉) 全てナイロン弦 となる。  ハウザー使用期にガットからナイロンに切り替わっているはずなのだ。いつから録音にナイロン弦が使用されたのかは定かではないが、1937年から1960年にかけての録音にはガットとナイロン双方の弦を張ったハウザーの音色が記録されていることになる。更に表板の異なるホセ・ラミレスの音色を加えると、表題の「5つの音色」が我々には残されているはずだ。それぞれどんな音色なのだろうか?  ナイロン弦の使用は1947年からと考えても良さそうだが、前記「1945年にナイロン弦を張って登壇」以降の可能性もある。しかし、いきなり「ナイロン弦最高じゃん。ガットはもういいや」となるだろうか? やはり張ってみたもののガットに戻してを繰り返し、十分満足出来る品質になってから演奏会や録音に使い出した、と考える方が自然だろう。「

BWV1008 クーラントの話

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  難しい。こんなの弾けるかいってくらい難儀である。どうしたものやら。  この曲、いざ弾いては見たものの、困難を極めた。全編バス付きスケールなので、速度を加減すればそこまで難しくはないだろうと高を括っていたが、甘い考えだった。速度は想定の8割程度で限界。そもそもバス抜きでも弾きたい速度で弾けない音の並びだったのだ。参った。  右手は最初から最後までギリギリだが、大抵の押さえなら音を上げることのない左手も厳しい箇所があって、左右の同期がとれない。「可能な限り早く」を踏まえると、このクーラントが最難関だと考えてはいたが、何度試みても弾けない。録画に臨むも常時動かし続ける右手に痺れが出てしまい、ヤバイよ、ヤバイよ。久しぶりの痺れにビビる。指もさらに動かない。これは真剣に「弾きたい曲リスト」の順番を考えなければならない時が来たようだ。予想より技術的な衰えが速いので、難易度の高い曲から取り組んで行かないと、取り返しのつかないことになりかねない。弾ける弾けないの判断も慎重にならざるを得ない。  これが限界だ。本意ではないが、ひとつひとつ山を越えて行かなければ全曲演奏には辿り着かないのだ。次に進もう。

観光地はカオスな話

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  6時前に到着。  途中は見えていた富士山は雲隠れ。  天気待ちのみなさんで、ごった返す湖畔。  泊りがけなのかテントだらけだが  ガン無視なのか ↓  桜は満開。  この土日がピークかな。 間に合って良かった。  そうこうしていると  お出ましに。  日本の春ですな。 「ビューリホーです、ニッポン」  自転車大好き外人さん。  行く手を塞ぐは逆走するはで、正しく走行しているのは1人だけな図 ↓  ここに至っては歩行者が道を譲る始末。  湖畔のテントもそうだが  読まれなければないのと同じ。  インバウンド目当ての観光地の成れの果てとならないか心配極まりない。  早々に手を打たないと。  ただいま、地元。  温泉でゆったり。そこまで混んでいなくてありがたい。  山はまだこんなだけど、ようやく春が来た。

BWV1008 メヌエットの話

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 さて、今年は1年かけて懸案であったバッハの組曲全曲演奏に取り組むが、弾ききれるか不安だ。特に速度が必要な曲、クーラントとジーグは落とし所を見つけなければならないだろう。かと言ってゆっくりな曲でも弾けないものは弾けないので困ったものだ。  楽譜は益田正洋編曲版で組曲第2番BWV1008に挑む。バッハの組曲全曲など最初で最後の挑戦になるので、じっくりと進めたい。  まずはメヌエットから始めよう。この曲は1と2から成り立っていて、それぞれ前半後半に別れている。演奏順は1−前半前半後半後半+2−前半前半後半後半+1−前半後半となる。メヌエット2の8+16小節が、組曲全体で唯一の長調部分(部分転調除く)となるので留意したい。  実際に弾いて見ると、初めの8小節はとても簡素で技術的にも容易だ。だからと言ってここで欲張って装飾したりバスを加えるなどすると、後のバランスや整合性が失われることになるので、無闇にいぢらないでおきたい。また、装飾の指示は参考までにしたい。チェロに限らずヴァイオリン属とギターでは装飾し易い箇所は異なるのではなかろうか。  メヌエット1は後半に入ると途端に困難になる。前半と譜面は変わりないように見えるが、戸惑う。  バスを止め損ねている箇所があるが、まずまずの出来だ。次はクーラント、ジーグと続けてみよう。どうなることやら。

今ごろ年始の話

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 明日から大雪の予報だからか、あちこち人出が多いのう。  やっとこさ親方の工房に辿り着いたぞ。おおぅ、駐車場の屋根が完成している。ええのう。  たのもーう。好きな喬は志村喬でお馴染み、あ〜さんと申します。邪魔しに来ましたよ。 「上がりなされ」  年始からなんやかんや偉いですな。取り合えず貢ぎ物をお納め下され。 「苦しゅうない。自家製の芋を焼いていたところじゃ。食べなはれ」  土地持ちはええのう。美味しく頂きます。 「ところで、このところ視力の低下に悩んでおる」  それは大変。すぐに眼鏡を作りなされ。なんでもいいから。どうせ初めの1本で満足の行く物に出会えるはずはないのだから、初めの1本を基準にして、改善したい所を洗い出しなはれ。セルとメタル両方のフレームを試しましょう。眼球がレンズの中心に来るような形と鼻パットの位置に留意するのが良いでしょう。雪が過ぎた後にすぐ眼鏡屋に行きなはれ。 「そうするとしよう。次からは屋根の下に車を停めるがよかろう」  それは忝い。そうさせてもらいます。  明日明後日は雪か。どうなることやら。

何があろうとな話

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  明けました2024年。音楽を享受することのありがた味が増す今日この頃。音楽を聴いたり楽器を演奏したりが当たり前ではない日が来ないことを願う日々だ。  早目に事を運んでおかないと何が起こるか解りゃしないので、今年はバッハの組曲に取り組む。組曲から1曲ではなく、全曲を弾いてみたい。だが、プレリュードからジーグまで弾き通すことは出来ない。そもそも暗譜が無理だ。なので6曲をそれぞれ2ヶ月を目安に仕上げて行き、1年で全曲を完成させる算段だ。これなら勝機はある。  曲の選択だが、チェロ組曲の第2番BWV1008 を考えている。暗い時勢に丁度良いだろ。楽譜はイ短調に移されている益田正洋版を使う。どの曲から始めるか検討したい。  何があろうと出来ることをやるだけだ。どうなることやら。

そりゃ混んでるな話

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  ほうら、奥まで綺麗にしようね。 「あざっす」  裏も洗おうね。 「気持ちよかですたい」  温泉で1年の垢を落として買い出しに行こう。  満車かよってくらい混み合っている。そりゃそうか。皆考えることは同じだものね。何軒か回ろうと考えていたが、やめやめ。ここへ来るまでの道すがら、乗用車同士の事故で騒ぎになっていたしな。見通しの良い交差点での事故ってどうして起こるのかね。年末に事故なんて最悪だ。これだけ車が多いと駐車場でのトラブルも有り得るし、とっとと帰るに限る。  さあ、やるべきことをやって新年を迎えるぞ。