高望みはしない話
先月の電気代がそれまでの1.5倍になっていた。このところ交響曲の再生に忙しくオーディオ三昧だったから、それが響いている事は否めないけれど。買い出しで感じた事はなかったが、いよいよ不況の波に呑まれそうだ。
交響曲を数曲聴いた後はギターを再生して締めている。このところはセゴビアの正規録音を順に聴いているのだが、どれも素晴らしい。不思議な事に、御大の正規録音は必ずしも60年以降のステレオが優れているとは限らないし、それ以前のモノラルが劣っている訳ではない。
概ねステレオ録音はラミレスで弾かれているのだが「なぜか」その音楽だけでなく音色も魅力に溢れている。もう数十年前になるが、行きつけの楽器屋の展示会に「セゴビアのラミレス」が旅して来たことがあった。誰もが興味津々で弄り倒した訳だが、遂にその「コーヒーの染み付き」ラミレスは「あの」音色を発する事はなかった。
セゴビアの手は大きく、とても柔らかだったそうだ。爪も大きく固そうだし、それが「あの」音色を育んでいたことは想像に難くない。御大が何本のラミレスを使用していたかは知らないが、それにしても暗くて固い音色のギターから自在に表現して行く様は、今更ながら手品のように思えてならない。
60年以前のハウザー期は言わずもがなの素晴らしさで、モノラルで録音されていることがありがたい程だ。動画もいくつか観てみたが、私が弾くのを諦めたでお馴染みのトローバのソナチネ第1楽章のみの映像は衝撃的ですらあった。おそらくテレビ用のスタジオ収録でリバーブを加えているようだが、その至芸を堪能する妨げにはならないだろう。みなさんも聴いて拝んでおくのがよろしかろう。ありがたや、ありがたや。
弾き手の爪の形状や厚みで音色がころころと変わってしまうのがクラシックギターの面倒なところ。それだけ音色のパレットが豊富だとも言えるが、使いこなせるのは一握りの雲上人のみか。私も形状を換えてみたり補強して厚みをつけてみたり試行錯誤しているが、神の仕業には程遠く辿り着ける訳もない。
野良ギタリストは野良ギタリストらしく地道に楽しむのがよろし。それで充分だ。
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